【広島原爆|ヒロシマ】享年17歳の伯母の命日。【2018夏】
今年は
8時15分に
お祈りできました
私には、私が生まれる前に
亡くなった伯母がいます
歳をとるにつれ
会ったことのない彼女を
思うことが多くなりました
生前の伯母の姿は
父親が持っていた
一枚の写真でのみ知っています
セーラー服姿の少女
私ととてもよく似ているのです
1945年8月6日当時17歳の
伯母が亡くなりました
広島に落とされた
原子原爆(原爆)のためです
病弱な伯母は
朝から病院へ行く途中でした
自宅から爆心地方向への途上に
いたのでしょう
数百度から数千度の熱の中で
伯母はおそらく
一瞬で炭素になったのでしょう
祖母と父が
歩いて捜しましたが
骨すらみつかりませんでした
その時
祖母と父は
自宅にいました
部屋のすべての畳は吹き飛び
ガラス窓が一瞬ですべて割れ
反対側の壁に無数に突き刺さりました
父の頭からは
数十年たっても
ガラスの破片が見つかることがありました
頭がかゆい
その原因はガラスだったという具合です
同じことが
絵本『ひろしまのピカ』にも
紹介されています。
被爆二世の私は
幼少時から
毎年8月6日の8時15分に
黙祷をするように
習慣付けられてきました
今は廃止された
「被爆者の子手帳」を持ち
自分は何者でどんな体なのか
原子力とはなんなのか
折々考えました
今日も
例年のように
原爆関連の本を読み
伯母や当時のことに
思いをはせています
6日の原爆投下時刻には
今年も黙祷をします
たった1年に一度
テレビの前で正座して
祈るだけですが
大事な時間です
(3年前の日記より)
天涯孤独でも
私の体に流れる血は
親、祖父母、その先祖から
受け継がれてきたものには
変わりありません
国民の7割が
1945年8月6日が
何の日か知らないという
昨年度の何かの調査結果は
ショックでした
日本への原子爆弾投下 1945年(昭和20年)8月6日・8月9日
原爆投下から4か月で
約14万人が亡くなったと
言われています
この数字だけでも
大変なものです
東日本大震災のような
近年の大きな出来事も
70年もしたら
大部分が知らなくなるのでしょうか
人間って
恐ろしく
愚かだなぁと
思うのです
だから
戦争がなくならないんだなぁ
9日の11時2分にも
お祈りします
話は変わりまして
むっちゃんです(〃ω〃)
にゅっ♥
ちらっ♥
もふ~ん♥
平和っていいな♥♥
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